「来月から私も黄薔薇さま、そして令は黄薔薇のつぼみね」

 卒業式も終わり、後は新入生を迎えるまでこれと言った仕事の無い江利子は薔薇の館で一人思いに馳せていた。

「お姉さま、どうかなさったんですか?」
「ついに私も三年生になるんだなー、と思うとちょっとね」
「黄薔薇さまとなる事の不安と緊張ですか?」
「令、私がそんな事を一々意識すると思って?」

 無論そんな事は思ってはいない。そもそも令の姉である江利子は山百合会幹部である黄薔薇さまの称号についてあまり興味は持っていない。ただ薔薇の館を離れても特にこれと言ってしたいことがないから黄薔薇さまの称号を継承したに過ぎないのだ。

「だとしたら来年の新入生についてですか?」
「んー、まぁそんな所かな」

 良くも悪くも江利子は何でもそつなくこなせれる。その上リリアンに通うだけあって家庭の収入も悪くないし、父と三人の兄は妹に甘いので欲しい物があれば簡単に手に入る。幼少の頃はそれで良かったのだが、歳を重ねていく毎に何もかもが退屈に思えるようになったのだ。その所為か江利子はいつも刺激や面白いことに飢えているのだ。つまり今の江利子が期待する事があるとしたら黄薔薇さまとしての日々より、新入生に面白そうな子がいるかどうかである。

「結局今年度は聖は妹作らなかったでしょ。今年の新入生に聖のハートを射抜けれる子がいれば文句無しなんだけどね」
「まぁハートを射抜くかどうかは別として、聖さまに妹が出来るいいのは確かですね。聖さまには共に歩んでいける人が必要ですし」

 令は聖と栞との一件については何も知らされていない。だが聖が心に何らかしらの傷を負ったことは察している。だからこそ聖には傷を癒してくれそうな子が必要だと思っているのだ。

(あ、やばっ。自分で言っててあれだけどこんな話持ち出すんじゃなかったな)

 正直こんな話をしていても楽しくないし、気分的に凹む一方である。栞の一件は極力触れないでいるのが薔薇ファミリーの間では暗黙の了解だったのだ。

「そうよね、聖が落ち着いてくれたら蓉子も安心して紅薔薇さまの仕事に励む事が出来るからね」
「そしたらお姉さまが楽できる、ですね」
「そっ、さすが私の妹ね。よく解っているじゃない。でも令、聖の事ばかり話しているけど貴女も他人事じゃないのよ」

 無論江利子が聖の事を意識し、話しを逸らすためにらしくもない冗談を言っている事は令も承知済みである。だからこそ江利子に調子を合わせて話題を変えたのだが、話しの矛先は聖から令自身に代わった様である。

「山百合会幹部の一人黄薔薇のつぼみの妹、四月からは黄薔薇のつぼみが選ぶ妹についてみんな楽しみにしているのよ」
「しかしお姉さま、私は元々……」
「従姉妹の由乃ちゃんがいる、でしょ。でも本当にそれでいいの?もしかしたら由乃ちゃん以外にもいい子がいるかもしれないし、由乃ちゃんも令以外の二年ないし三年をお姉さまに持つかもしれない。そればっかりは蓋を開けてみないと解らないでしょ?」

 令が一学年下の従姉妹である由乃を妹にする事は前々から公言していた。だが江利子や蓉子はあまりいい顔をしてはいなかった。だがそれでも二人がその事で口を挟む事はこれまで一度もなかった。そう、これまでは……

「でも由乃を妹にする事は暗黙の了解ですし、正直由乃を放って他の子を妹にするなんて私には出来ません」
「令ったら本当に由乃ちゃん命なんだね。でもね」
「お姉さま?」

 だが今日はいつもと様子が違っていた。先ほどの聖の話しが尾を引いているのか、江利子の顔がいつになく真剣な顔になっているので令も自然と身構えてしまう。

「今まで一度もその事で口を挟まなかったし、これからも口出しするつもりはなかったけど今日と言う今日は言わせて貰うわ。令、はっきり言って私は反対よ」
「っ!?」

(あぁ、今日の私って本当にらしくない事してるわ。白薔薇さまの卒業する姿を見る聖を見たから?)

 白薔薇さま……正確に言えば既に任期を終えているからその呼び方は正しくないのだが、江利子は聖のお姉さまである白薔薇さまの最後を見送る聖の姿を見てセンチメンタルな気分になったのだ。元々卒業式を終えた今、蓉子たちと別行動しているのはそんな姿を見せたくなかったから、そして令はそんな江利子を支えようと思い江利子と共にいたのだ。もっとも令は江利子が黄薔薇さまの卒業のことでしんみりきているのだと思っていたようだが。

「あとね、この事は蓉子も同じ事を考えているわ」
「何故ですか?何故今になって由乃を妹にする事を反対するのですか!?」

 確かに令も江利子や蓉子がこの事に関して難色を示していたのは承知済みである。だがその事について今まで触れなかった事もあってか、『令の妹がどんな子なのか?』その楽しみが無くなった事だと、自分にいいように解釈したのだ。

「なら一つ聞くけど令にとって私は何?どうして私の妹になったの?」
「それはお姉さまが私をお誘いになったから……」
「ええ、そうね。確かに私は入学式からあなたに目を掛け妹にしようとしたわ。でも令には拒否権もあった。なのにどうして私を拒否しなかったの?」
「それは……」

 どうして今頃になってこのような事をお聞きになるのだろう?だが聞かれた以上答えねばならない。一つ一つ言葉を選びながら答えていく。

「それは私がお姉さまに惹かれるものがあったからです。あの時お姉さまが黄薔薇のつぼみである事を抜きにしても、私にとってお姉さまは特別な方だったからです」
「じゃあもし令にとって私以上の魅力を感じる上級生が出てきて、妹にしたいと言ったらどうする?私にロザリオを返してその上級生の妹になる?」
「おっ、お姉さま!?私がそんな事をすると思っているのですか!?そもそもロザリオを返すなどという非常識なマネを……」
「そうね、確かに一度受け取ったロザリオを返すなんて前代未聞よね。でもそうなると令は私が卒業するまで不本意ながら私の妹でい続けないといけない事になるわ。そして私もね」
「あっ!」

 ここへ来てようやく江利子の言おうとしている事に気付く。いくら幼い頃からそう決めていたと言っても、令も由乃もまだ多感な十代なのだ。当然心変わりをしないとは限らないだろう。

「それに由乃ちゃんだっていつまでも子供じゃないわ。いい加減令が面倒を見なくても自己管理ぐらい出来るでしょ」
「でも由乃は心臓が悪いのに無茶ばかりする子だし、もしまた由乃に何かあったらみんなに迷惑をかけることになるし、それに………とにかく由乃には私がついてないと駄目なんです。」
「いい加減にしなさい、令!!」

 江利子にしては珍しく声を荒げてくる。蓉子ならまだしも江利子がここまで強く言う事は初めてなのだ。

「『由乃には私がついていないと駄目なんです』ですって?由乃ちゃんを理由にするのはよしなさい!由乃ちゃんに令が必要なんじゃなくて、令に由乃ちゃんが必要なだけじゃない!!」
「そ、そんな事は……」
「いいえ、違わないわ。確かに由乃ちゃんが令の事を求めていないとは言わないわ。でも令はそんな由乃ちゃんに、『病弱な由乃ちゃんを守る』と言う大義名分に縋っているだけじゃない」

 そんな事は無い、そう言いたかったがこの後の江利子の言葉に何も言えなくなってしまう。

「今はまだいいわよ、令も由乃もまだ高校生と中学生だから。でもこれから先もずっとそのままでいる気なの?いつか『病弱な由乃ちゃんを守る』と言う大義名分が無くなった時、令は自分の道を歩んでいけるの?答えなさい、令!!」
「わ、私は………」

 答えれなかった。今まで由乃と共にいる事が令の全てだったのだ。例え一学年違う事でこの一年間違う学校に通っていたとしても、令の中から由乃という存在が無くなる事は無かったし、翌年にはまた一緒に同じ学び舎に行く事が出来ると思っていたから。

 だがもし江利子の言う通り令の下から由乃がいなくなったらどうだろう?由乃という存在が令の心の大半を占めているのだ。その由乃がいなくなったら令の心はポッカリと大きな穴が出来るだろう。その穴を塞ぐ事が出来るのだろうか?

 答えはNOである。想像しただけでも何もかもが無気力になるのだ。現実でこのような事が起きたら再起不能になるかもしれない。

「ゴメン、柄にも無くキツク言い過ぎた」

 令があまりにも絶望的な顔をするのでこれ以上令を責めることはできなかった。

「でもこれだけは覚えておいて。今のように答えが見つからないまま由乃ちゃんとズルズルいくようなの関係は二人にとってきっと良くないわ」
「お姉さま……」
「とりあえずこれが私から令にあげる春休みの宿題よ。それと新学期を機に一度由乃ちゃんと距離をとってみなさい。きっとお互い今まで見えなかったものに気付く事ができるから」

 江利子の忠告が思いのほかダメージが大きかったのか、令は半ば呆然とした姿で薔薇の館を去っていく。

「はぁ、こんな事言うつもりで残っていたわけじゃなかったんだけどね」

 令が去った後、誰に聞かせるでもなく一人愚痴ってしまう。

「でも令、正直令には聖の二の舞にはなって欲しくないのよ。相手に依存しすぎる結果自分自身や周りを省みない、相手のことしか見えない脆く儚い世界に閉じこもるような事には……」

 幼少の頃は喧嘩友達としてもっとも近くにいた存在、そして高等部に入ってからは同じ山百合会のメンバーとして一緒だった存在、そんな聖のクリスマス以降の姿は正直見るに耐えなかった。だが元々世話焼きの蓉子と違って、江利子が口喧しく言った所で聖が反発するのは火を見るより明らかである。結局江利子はいつも通り聖に接する事しか出来なかった。

「あの時、結局白薔薇さまと蓉子に任せっきりだったからね。今回ぐらいお節介になってもバチは当たらないよね」

 あれから三ヶ月近く経ち、聖も一時期のことを思えばだいぶ持ち直したと思う。だがそれでも聖の心の傷が完治するまではまだまだ時間が必要だろう。

「私に柄にもないことをさせたんだから、二度も同じ苦しみを味合わせないでよね」

 そこには多くの学生が見てきた黄薔薇のつぼみでも無ければ、聖や蓉子が見てきた鳥居江利子はいなかった。そこにいたのは歳相応のか弱き少女が佇んでいた。





          ◇ ◇ ◇





「ごきげんよう、黄薔薇のつぼみ」
「ごきげんよう……」

 新学期初日、今日から「黄薔薇のつぼみの妹」から「黄薔薇のつぼみ」へと変わったが、呼び方が変わった事で戸惑う事は無いようである。が、

(結局答えは決まらずじまいか、それに由乃に何も言えなかった……)

 あれからずっと江利子からの課題を考えていたが、自他共に満足のいく答えは見つからなかった。しかも明日から入学式だと言うのに由乃には暫く距離を置く事はおろか、姉妹の儀を結ぶ事を保留にする旨も言えなかったのだ。

「ごきげんよう、黄薔薇のつぼみ」
「ごきげんよう、紅薔薇のつぼみ。あれ、今日は一人なんだ?」
「今日からお姉さまは紅薔薇さまなのよ。いつまでもお手を煩わせる訳にはいかないわ。それより令、顔色悪いけど何かあったの?」

 やはり悩みに耽る令の様子は祥子から見ても明らかにいつもと違っていた。

「春休み中に宿題ができなくてね。お姉さまに会わせる顔が無いよ」
「宿題をやってないだなんて令にしては珍しいわね」
「中々の難問でね、正直かなり手を焼いてるんだ」

 実際のところ江利子の宿題よりも、由乃と距離をとらなければいけないことで頭が一杯なのだ。その様な事をして由乃が黙っているだろうか?いや、それ以前にその様な事を言い出した江利子に食って掛からないだろうか?不安だけが日増しに募っていっているのだ。

「なら教室に向う前に薔薇の館に向いましょう。仮にも黄薔薇のつぼみが宿題ができていないなどと言う醜態を晒すわけにはいかないでしょ」
「え、ちょっと祥子」
「いくら令でも宿題である以上答えを見せるわけにはいかないわ。でも解らない所をアドバイスするぐらいのことは協力するわ」

 どうやら江利子からの宿題を学業の宿題と勘違いしているようである。付け加えて言うと先ほどから声のトーンを落としていないので、却って周りに誤解を招く結果となっている。

「だから落ち着いてよ祥子、私はそっちの宿題はちゃんとやっているって」
「一分一秒も惜しいわ。急ぐよ、令」
「人の話しを聞いてくれーーー!!」

 結局祥子が事の真相を聞く事ができたのは薔薇の館で令のやり終えた宿題を見てからだった。

「紛らわしい事を言わないでよ!!」

 ヒステリーを起こした祥子が令の相談に乗ってくれたのは放課後だった……





          ◇ ◇ ◇





「で、由乃ちゃんにはちゃんと説明できたの?」
「その……お姉さま、すいません。まだです」
「はぁー、先が思いやられるね」

 ついに入学式当日を迎えたと言うのに令は何一つ進展していなかった。だがそうなるとこの入学式が終わって直ぐに由乃からロザリオをせびられるのではないか?と言う質問に対して

「良くも悪くも由乃は体調を崩して今日は休みです」

 未だ由乃に今後の旨を伝えれないでいる令にとって、由乃が休みというのはありがたいことである。だが安堵する一方で由乃が体調を崩した事に対して気が気では無い様である。

「でも所詮気休めよね。けどまさかとは思ったけど、令の由乃ちゃんに対する入れ込みようって相当重症なようね」
「申し訳ありません」
「ともあれ今は山百合会の仕事を優先するべきね。蓉子達はもうお聖堂に向っているし、私たちも行きましょう」

 これから始まる入学式は五月にあるマリア祭と違い学校側が主催するのだが、生徒会として役目を持つ山百合会も少なからず仕事が回ってきているのだ。

「けどそうなると別の方法も考えないといけないかな。ねぇ、どうせ令の事だから祥子にも相談したんでしょ?どんな内容だったの?」
「それは……」




…………………………



………………………………………



………………………………………………………




「で、あなたは黄薔薇さまの言った事を真に受けてそうやって悩んでいるわけね」
「ねぇ祥子、いい加減機嫌直しなよ」
「誰の所為よ、誰の!!」

 朝の失態をまだ根に持っているのか、未だ祥子の機嫌は宜しくなかった。

「と、とにかくそういう訳で正直どうしたらいいのか解らないんだ」
「はぁ、そんなの一々気にしなくてもいい気がするけど」
「そうはいかないでしょ。あのお姉さまが真剣な顔をして言ってたんだよ」
「あの黄薔薇さまは自分の楽しみのためなら真剣な顔の一つや二つぐらい平気ですると思うけど」
「いくらあのお姉さまでもそれはないって。真面目な話し以外で真剣な顔はしないよ」

 二人とも本人がいないことをいいことに好き勝手言い放題である。

「じゃあ祥子はどうやって妹を選ぶのよ?」
「それは勿論歴代のお姉さま方に恥ずかしくないよう、紅薔薇さまの名に相応しい子に決まってるわ」
「祥子らしい無茶を言うね。仮にそんな子がいたとしても競争倍率高いと思うよ」
「それこそ望む所よ。私は如何なる勝負も受けて立つし、負けるつもりもないわ」

 はっきり言って理想が高過ぎる。奇しくも歴代の薔薇さま方、特に歴代の紅薔薇さまは自他認める優秀なお嬢様がなってきたのだ。そんな紅薔薇ファミリーに負けない才の持ち主などそうそういるものではない。

「でも……そうね。もう一つ条件があるとしたら私が私らしくいられる人を妹にしたいわね」
「祥子が祥子らしく?」
「お姉さまは私の贔屓目抜きで見ても素晴らしい方よ。でもそれ以上に私がお姉さまと共にいる理由は、お姉さまがありのままの私を受け入れてくれたからよ。時には衝突もあったけどそれでも私をちゃんと指導し、それでいてありのままの私でいさせてくれた。私はこれからできるであろう妹とそんな風な姉妹になりたいのよ」

 そう言えば祥子がここまで心のたけを明かしてくれたのは初めてかもしれない。それは祥子が新しい新入生が来ることに……つまり祥子も人並みに妹を持つ事に少なからず期待に胸を膨らませているのだろう。そして令が気を許している間柄と言う事もあっていつもより多弁になっているのだ。

「だからきっとそんな子がいたら何があっても手放さないと思う。何があっても私の妹にしようとするでしょうね」
「降参、たいしたものだよ祥子は」
「話の途中で茶化さないでちょうだい。話を戻すけどもし令にとって本当に由乃ちゃん以外に妹にしたいと思えないのなら、令の方から姉妹の儀を申し立てればいいわ」

 だがその結論に辿り着いたとしても一度は由乃と距離を置かねばならないことに変わりはない。そして計画通り事が進んだとしたら間違いなく由乃が黙っているわけがない。最悪後になって姉妹の儀を申し立てても断られる可能性だってあるのだ。

「あとお姉さまはこうも言っていたわ。『本当の姉妹というのは放って置いてもお互い惹かれあうもの、大事なのはお互いが一歩前に踏み出すことができるかどうかよ』と。本当に令と由乃ちゃんがお互いを求め合っているのなら少々の行き違いなんて簡単に乗り越えられるよ」
「互いに惹かれあうもの、か」

 確かに令の時もそれに近かった。江利子の姉妹の儀を申し込まれた時、江利子が黄薔薇のつぼみであることは知ってはいたが、だからと言ってその肩書きが理由で江利子の妹になると決めたわけではない。『黄薔薇のつぼみ』でない江利子の何かに惹かれたからこそ江利子の誘いを受け入れたのだ。

「仮に令と由乃ちゃんが姉妹にならなくても、今まで築き上げてきた絆がある限りきっと仲直りはできるわ」
「ありがとう、少しは気が楽になったよ」

 きっと大丈夫、少しぐらい離れていても二人はいつかまた前のように一緒になれる、その時はそう思ったのだ。その時は……




………………………………………………………



………………………………………



……………………





「で、その時は前向きに思えたのに今はこの有様ってわけ?」
「全くもって面目ないです」

 穴があれば入りたい、今の令の心境を表すのならそんなところだろう。結局の所支倉令という人物は、一度由乃という呪縛から解き放たれないと何もできないのだ。

「とにかく気分転換の為にもしっかり働いてもらうわよ。それよりちょっと急ぐよ、本当に時間が無いみたいだし」

 先ほど窓からチラリと見えた教室の時計の時間は江利子の持つ腕時計より15分近く先に進んでいた。慌てて令の腕時計で確認を取ってみるとどうも江利子の腕時計の針が遅れていたようなのだ。なので急いでお聖堂に向かおうとしているのだが、

(新しい年度を迎えたと言うのに早くもお先真っ暗だな……)

「___さん、急がないと間に合わないわよ」

 考え事に夢中になっている令は時間はおろか、江利子の言葉にも反応していなかった。

「ん、令?」
「ちょっと待ってよ。元を糺せば時間ぎりぎりになるまで撮影に夢中にならなければこんなに急がなくても良かったんだからね」
「でも今は理由を追求するより早くお聖堂前に行く事が最優先よ」

(けど私も今年度からは黄薔薇のつぼみなんだ。公私混同せずに山百合会の仕事に励まないと)

「よしっ!まずは目の前の入学式の仕事からだ!!」

 気合十分、元気百倍……とまではいかないがようやく元気を取り戻したようである。だがその間も刻一刻と時は過ぎている。

「ちょっと令、本当に急がないと遅刻してしまうわよ!」
「え?うわっ!急がないと……」

 江利子の声にようやく反応を示した令が自身の時計を見て慌てて駆け出す。だが急いでいた江利子と令はまだ気付いていなかった。近くから二人とは別の話し声がすることを。

「とにかく急いだ急いだ。新学期早々遅刻して上級生に悪い意味で印象を持たれたいの?」

 それは必然だったのだろうか?お互いが時間に追われ、周りを意識する事ができていなかった。そんな中片方は校舎の裏側からお聖堂に向かう途中、T字路で言う所の左から右向う道。片方は校舎の正面と図書館の間を通り抜けているところ、同じくT字路で言う所の下から上へ、そして右へと曲がる道。つまり双方の道は途中で交わるのだ。

「あっ!」
「危ない!」

 そして前述にもあるが双方共に周りを意識する余裕はなかったのだ。つまり双方共に不注意が故にぶつかるのは当然のことなのかもしれない。だがどんなに考え事に耽り、急いでいたとは言え令は剣道の有段者。とっさに当たるか当たらないかのタイミングで止まる事はできた。が、

「す、すいませんでした!」
「ふぅ、危なかっ……うわっ!」
「ギャッ!!」

 確かに令は寸前のところで衝突は免れた。だがそれは横から走ってきた少女の片割れと、である。いくら令が剣道の有段者であっても、一度衝突を免れ一息付いている所を第二段目に来られては反応しきれないのだ。

「はぁ、まさか本当に新学期早々お先真っ暗だとはね」

 体格で言えばぶつかって来た子の方が令より一回り小さい。だが令には隙もあったし、ぶつかって来た子が予想以上に勢いがあった所為もあって、令に覆いかぶさるように倒れてしまったのだ。

「ちょっと二人とも大丈夫なの?」
「アイタタタ……はっ!?すすすすすいません!!」
「私は大丈夫だからそこまで気にしなくていいよ」

 ぶつかって来た子が必死に謝っているが何せ令にも非はあるのだ。そんな一方的に謝られても正直居心地は宜しくない。

「何よりこっちにも非があるのだからここはお相子でいいでしょ。それよりそろそろ降りてくれないかな」
「はうっ!もももももももも申し訳ありません!!」

 そして何より未だに彼女は令の上に乗ったままなのだ。その事に気付いた彼女は恥ずかしさに顔を紅潮させ、深々と頭を下げる。が、まだ令に乗ったままで、である。

「いや、だから早く降りてあげた方がいいって」
「し、ししししし失礼しました!!」
「すいません、私も彼女も急いでいたもので……って、あっ!?」

 慌てて令の上から降りる彼女に代わって、メガネをかけたもう一人の子が令と江利子に謝罪を述べる。だがぶつかって来た子と違い、メガネを掛けた彼女の方は令と江利子がどういう人物なのか知っていたのか驚きの色を隠せないでいる。

「だからそこまで気にしなくていいよ、別に怪我をしたわけではないしね。ところで君達こそ怪我はなかったかい?」
「私は大丈夫です。それより……」
「あ、私も大丈夫です。先ほどはご迷惑をお掛けして……」
「だからそれはもういいって。それより……」

 またも頭を下げようとする所を制し、ようやくぶつかって来た彼女の顔を目にする。

「あっ……」

 そのときふと思い出す。祥子からきかされた蓉子の言葉『本当の姉妹というのは放って置いてもお互い惹かれあうもの……』を、

「あの、私一年桃組の福沢祐巳と言います。あの、その、……」

(フクザワユミ、か……)

 桜の舞い散るその日、支倉令の波乱万丈の一年の幕開けだった―――












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        <第二話>


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