「ご、ごきげんよう、祥子さま」

 彼女はまるで蛇に睨まれた蛙のような目で私を見る。良くも悪くも平均的なリリアンの女生徒である彼女には紅薔薇のつぼみを前に萎縮するなというのは無理な注文なのだろう。

「ごきげんよう、祐巳ちゃん。肩の力を抜いて………はちょっと難しかもしれないけどそこまで硬くなる必要は無いわ」
「で、ですが………」
「私だってまだお姉さまに色々とご指導を受けている半人前よ。祐巳ちゃんがそこまで硬くなる必要はないわ。それにね」

 私と祐巳の視線の先には本来いるべき人物を欠いた席がある。

「あの、白薔薇さまはお休みなんですか?」
「ただの遅刻よ。ほら、この足音からしてようやくお出ましのようね」
「みなさんごきげんよう。みんなのアイドル白薔薇さまこと佐藤聖、只今参上♪」

 遅刻の言い訳もせず良く言えば威風堂々と、悪く言えば図々しく重役出勤してくる。

「祐巳ちゃん、今日から担当が祥子に移っちゃうけど何かあったら遠慮なく私を頼ってね」
「え、え〜と由乃さんに悪いですから遠慮しますね」
「仮にも薔薇さまの一人である白薔薇さまがこの有様ですからね、祐巳ちゃん一人が固くなるのは馬鹿らしく思えるでしょ?」
「あ、ははは………確かにそうですね」

 うん、少しは祐巳ちゃんも肩の力が抜けてきたようね。お姉さまの理想、それを叶える為にはお姉さまの妹である私がもっと一般の生徒たちと交流が持てるようにならないといけない。そう言った意味では祐巳ちゃんはこの三人の中で一番良い練習相手になるわ。

「今日からは色々と覚えてもらうけど、解らないことがあったら遠慮なく行って頂戴」
「はい、祥子さま」

 しかしこの子、黄薔薇さまの言う通り本当に表情がコロコロ変わるのね。白薔薇さまが百面相と名付けるのもあながち間違いじゃないわね。

「それと仕事に入る前に聞くけど此処には慣れたかしら?」
「まだ慣れたとは言えませんが皆さんに好くしてもらっているし、志摩子さんや由乃さんとも仲良くなれたのは正直嬉しいです」
「じゃあ黄薔薇さまや白薔薇さまは?」
「あ、それ私も聞きたいな」
「そうね、折角だから私と白薔薇さまのどっちが気に入ってもらえたのかも聞いてみようかしら?」

 二人の名前が出ただけでも表情が固まったのに、二人が話しに参加した事で更に困った顔になっている。

「あの、黙秘権を使っても………」
「「「却下!!」」」
「そんな〜〜〜」

 あらやだ、二人とハモってしまったわ。どうも子のこの顔を見ているとついついからかいたくなる。色は違えど私も薔薇ファミリーの一員だと言うことなのかしら?

「こらこら、白薔薇さまや黄薔薇さまだけじゃなく祥子まで祐巳ちゃんをからかってどうするのよ」
「ちょっと紅薔薇さま、私は黄薔薇さまとして一学生の忌憚の無い意見を聞きたいだけなのよ」
「そうそう」

 お姉さまがお止になるのも気にせず祐巳ちゃんの両肩にそれぞれ手を置き、先ほどの答えを要求している。さすがにこれ以上はちょっと可哀想になってきた気がする。

「白薔薇さまも黄薔薇さまもお戯れはこの辺にして仕事を始めませんか?」
「ちょっと祥子、今更一人だけ良い子振る気?」
「どう思われようと結構ですわ。だってお姉さまを敵に回すほど私は愚かではありませんもの」

 何せお姉さまの前には三つに山積みされた仕事がそれぞれの行き先に向けて配置されようとしてる。無論その行き先は二人の薔薇さまと私の前に向けて、である。

「さて、由乃ちゃんと仕事でもしようかな」
「たまには私がお茶でも淹れようっと」

 雷が落ちてからでは遅過ぎる、それを解っているお二方はお姉さまがこれ以上機嫌を損ねる前に私同様にこの一件から手を引いていかれた。

「じゃあ私たちも仕事を始めましょうか」
「あ、はい。祥子さま、お陰で助かりました」
「まぁ私が言い出したことですしね」

 しかしこの子、他の子に比べて特別に可愛いと言うわけじゃないのに、どう言う訳か保護欲を掻き立てられしまう。

「祥子さま?」

 そうやって上目遣いに私の顔色を窺うなんて………白薔薇さまが抱き付きたくなるのも無理も無いかもしれない。

「なんでもないわ。それよりそろそろ仕事を始めないと私たちだけ居残りになってしまうわ」
「そ、そうならないよう頑張ります!」

 他のペアに遅れる形になったがそれでも決して慌てたりせず、一つ一つキチンと指導していく。

「ここは___」
「あ、なるほど」

 そう言ったことの積み重ねがお姉さまのような素晴らしい女性になる一歩だと私は考えている。幸いにも思ったより祐巳ちゃんが物分りが悪くないので今のところうまく言っていると思う。

「それでここは___」
「あ、確かここはこうするんですよね?」
「え、ええ。でもよく知ってたわね」
「先日白薔薇さまが何度か間違えてやり直しをしていた箇所だったので………」

 あの白薔薇さまが同じところを何度も?あの人はあまり真面目とは言えない人だが能力云々だけを見ればお姉さまや黄薔薇さまと同等がそれ以上の才覚の持ち主なのだ。となると………

「あれ?由乃ちゃん、令からちゃんと指導を受けてたんでしょ?」
「………それが何か?」
「いや、そんな初歩的なミスをするなんてらしくないな〜、ってね」
「っ!?な、何を仰るかと思えば………」

 安っぽい挑発をしてどこが間違いなのか由乃ちゃん自身に気付かせようとしている。当たり前だけど昨日までの祐巳ちゃんとは接し方が違うようね。

こ、このことね。ロ、白薔薇さまこそ手が止まってますよ。私のことにばかり気をかけていないでご自身の仕事をなさってはどうですか?」
「こりゃ一本盗られたね。じゃあ何かあったら遠慮なく聞いて頂戴」
「今の内に………」

 白薔薇さまがご自身の書類に目を向けている隙に手直しを済ませたようね。でも白薔薇さまはそんな由乃ちゃんの事情なんてお見通し、つまり由乃ちゃんの自尊心を傷付けない指導方法をとっていると言うこと、そして祐巳ちゃんの時も………

「口惜しいですが貴女には敵いませんね」

 どうして私はいつも外面でしか物事を見ることが出来ないのだろう。白薔薇さまが祐巳ちゃんの担当の時、薔薇の館に慣れさせるために居心地の良い時間を提供しているだけで何一つ指導していないものだと勝手に決め付けていたなんて………

「祥子さま」
「どうかしたのかしら?」
「この辺がちょっと解らないので………」
「あぁ、そこは___」

 あれ?ここはさっきまで普通にできてた範囲のはず………あぁ、そうか。祐巳ちゃんなりに気を使っているのね。

「ありがとうございます。お手数おかけしました」
「いいのよ、下級生を導くのが上級生の役目なんだから」

 お姉さまや友人である令ならともかく、年下の祐巳ちゃんに私の心を見透かされた。これは普通なら恥じるべきこと、でも何故かしら?そのことを恥じることはあれど、年下である祐巳ちゃんに心を見透かされたことをこれぽっちも不快に感じてないのだ。

「でも祐巳ちゃん、ここ字を間違えているわよ」
「あ、すいません」

 まだまだ半人前、放って置けばこの三年間他の多くの生徒と同じような平凡な学生生活を送っていくだろう。でも、

「今日はお姉さまも黄薔薇さまもいるのだから無理をすることは無いわ。一つ一つ丁寧にやっていきましょう」
「はい、祥子さま」

 それをさせてはいけない、祐巳ちゃんを手放してはいけない。そんな気がしてならないのだ。祐巳ちゃんはきっと山百合会に必要な子なのだ。そして私にとっても………

「心配しなくても貴女は私が導いてあげるわ」






          ◇   ◇   ◇








「令ちゃん、今日はやけにご機嫌ね」
「そうかな?私は至って普通通りだけど」
「私にはどう見ても浮かれているようにしか見えないんだけど」

 恐らく由乃でなくとも令の機嫌がいいのは一目瞭然、そのくらい今の令は浮かれているのだ。

(今日から私が祐巳ちゃんの担当だし、ティーカップケーキも巧くできた。まさに文句なしだよ)

「だとしたら由乃とこうしてまた通学できるようになったからだよ」

 さすがに本音を言えば由乃が不機嫌になると思い、当り障りの無い言葉で誤魔化す。実際由乃と再び通学できるのは久しぶりなので喜ばしいことには違いないのだから。

「ちょ、ちょっと令ちゃん、いきなり何言ってるのよ!」
「それと今日はティーカップケーキ作ってきたから楽しみにしててよ」
「はぁ、まぁいいけどね。それより最近薔薇の館にい続けているけど部活は行かなくていいの?」
「あ………………」

 今回の一件を意識するあまり部活の方は放ったらかしになっていたのだ。どうも練習そのものは家の道場でもしていたので令自身が運動不足に気付くことが無かったようだ。

(さすがにそろそろ出ないと不味いよね。でも………)

 今から朝練は間に合わないし、放課後に出れば薔薇の館に顔を出すことができない。そうなれば祐巳に会うことができなくなるので余計に出辛い。

(この際だから今日明日もサボって明後日からちゃんと出ることにしようかな?)

 だが明後日からは由乃が令の担当、その状況で由乃を置いて部活に行こうものなら反感を買うのは火を見るより明らかである。

(『どうして私が担当の時に部活に行くのよ!!』とか言うだろうね)

 当然朝連のみ部活に参加すると言う術も、結局は由乃と一緒に登校できなくなるので同様に却下である。

(あまり気は進まないけど二日に一度のペースで明日から出るのが無難か………)

 せっかく今日から祐巳が担当になると言うのにその期間が一日、実質一週間に一日の感覚では喜びも激減である。

「お姉さまたちに明日から薔薇の館に行けれる日が減ることを伝えないとね」
「ご愁傷様………かな?まぁ令ちゃん、剣道そのものは嫌いじゃないからまだマシと思うべきじゃない?」
「まぁ、そうなんだけどさ」

 由乃が高等部に上がって初めての一緒の登校も、これ以降二人の間に会話は無かった。

「あれ?あれって祥子さまと祐巳さんじゃない?」
「え?」

 気がつけば既にマリア像の前まで来ていた二人は珍しい組み合わせを眼にする。

「ほら、タイが曲がっていてよ」
「す、すいません祥子さま」
「ちょっとこれを持ってて」

 さして曲がってもいない祐巳のタイを直し始める。そんな祥子の行動に祐巳や令たちも驚きを禁じえない。

「身だしなみはいつもきちんとね。マリア様がみていらっしゃるわよ」

(祥子の潔癖症振りからして、だらしない身なりをしていれば例え上級生であってもキツク咎めるぐらいなのに………)

 いくら祐巳が薔薇の館の大事な客人とは言え、あの祥子がそれだけの理由で態度がこうも豹変するとは思えない。つまり祐巳という存在は祥子にとってそれだけ特別だと言うことになる。

(………野島さんには悪いけど当分剣道部は休ませて貰おう)

 何故そう思ったのか、もはや令は考えようとも思わなかった。ただ理屈抜きにこの現状を黙って見ていられなかった。

「ごきげんよう、祐巳ちゃん、祥子」
「ごきげんよう、令さま」
「ごきげんよう、令」

 気がついたら由乃を置いて二人に声をかけていた。いや、声をかけたのではない。実際は二人だけの世界を作りつつあるこの雰囲気を壊したかったのだ。

「祐巳ちゃん、実は今日ティーカップケーキを作ってきたんだ。薔薇の館でみんなに振舞うから楽しみにしていてよ」
「へ?令さまがお作りになったんですか?」

 祥子は去年からの付き合いだから令の趣味も知っているが、事情を知らない祐巳は令がお菓子作りをしている姿が連想できなかった。

「意外だったかな?まぁ私の数少ない女の子らしい趣味と思ってよ」
「その上もう一つの趣味は編み物で、愛読書が少女小説全般。私たち一年生が抱いているイメージの全く反対なのよね」
「由乃さん?」
「ごきげんよう、祥子さま、祐巳さん」

 令に置いてけぼりにされてた由乃も遅れながらも会話に混じってくる。

「ごきげんよう、由乃さん。さっきの話って本当なの?」
「祐巳ちゃんが信じられないのも無理も無い話しよね。私も令のイメージと中身のギャップには驚かされてたから」
「そ、そうなんですか?」

 祥子が蓉子の妹になって初めて薔薇の館を訪れた時に振舞われたお菓子が実は令の手料理だったとか、お勧めの本を聞けば少女小説オンリーだったり、クールのタイプだと思えば姉の江利子や従姉妹の由乃の話をする時は甘々だったり………といった感じで驚きの毎日だった。

「でも祐巳ちゃん、令の作るお菓子は中々のものよ。間違えなく祐巳ちゃんも気に入ると思うわ」
「祥子さまがそこまで仰るということはよっぽどの出来なんですね。なんだか放課後が楽しみになってきました」
「う、うん。楽しみにしててよ」

 祐巳はあくまで偏屈者なところがある祥子にそこまで言わせたことに感心しているだけ。それは解っているのだが祐巳が『祥子さまがそこまで仰ると言う事は………』と言う言葉に反応してしまう。

「どうかしたの、令ちゃん?」
「な、なんでもないよ。それよりそろそろ校舎に入らない?いつまでも私たちがここを占拠していたら他の子たちがお祈りが出来ないしね」
「?別に占拠しているつもりもないし、お祈りがしたいなら私たちに遠慮せずお祈りをすればいいだけじゃない」
「さ、祥子さま?」

 薔薇のつぼみである祥子と令に気兼ねせずお祈りが出来る人間などこのリリアンには一握りしかいないだろう。だが箱入り娘を絵に描いたような祥子にはそういった事情はこれっぽっちも理解できていないのだ。

「はぁ、これだから祥子は………」
「ちょっと、令!どういう意味よ!?」
「祐巳ちゃん、祥子はこういう人なんだ。慣れるまでカルチャーショックの連発だろうけど生暖かく見守っててあげてよ」
「は、あぁ………」

 祥子がそうであったように令も祥子の浮世絵離れしたお嬢様振りには驚きの毎日だったのだ。

「令っ!人を無視して話しを進めでないで頂戴!!そもそも生暖かくって何よ!!」
「その上かなりの癇癪持ち、色々と苦労かける事になると思うけど生暖かく、ね」
「令っ!!」
「………令ちゃん、いいの?」
「いいのよ、祥子のアレはいつもの事なんだから」

 いつもの事と言えばいつもの事だが、祥子にこういうことが許されているのは蓉子だけである。なので当然

 ぎゅぅっ!!

「痛っ!祥子、足踏んでる。足!!」
「あら、ごめんなさい。令の言う通りいつまでもここにいても仕方ないし、そろそろ教室に向かおうと思ったら令の足を踏んでしまったようね」

 言葉では謝罪をしてもその足は未だに令の足を踏んだままで、その上グリグリと踏み潰すように体重をかけてくる。

「わ、解っているなら早く足を退いてよ。って、痛い!本当に痛いって!」
「さ、祥子さま、落ち着いて下さい。きっと令さまも反省していますよ、そうですよね?」

 必死に首を縦に振る令に満足したのか、ようやく足を退ける。

「ふんっ!これに懲りたら余計な事は言わない事ね」
「令ちゃん、大丈夫?」
「ほ、骨にヒビが入るかと思った………」

(せっかく良い気持ちで朝を迎えたのにこれじゃあ踏んだり蹴ったりだよ)

 そして令の受難はこれだけに止まらなかった。









          ◇   ◇   ◇







 祐巳たちが山百合会の手伝いをするようになって早五日、さすがに五日もあれば各々も仕事の要領も掴み、一から十まで教えてもらわなくても仕事が出来てくるようになる。

「あれ、ここはどう処理するんだったんだろう?」

 ………はずなのだが、祐巳には由乃や志摩子ほど要領が良くない所為もあって、中々思うようには行かなかった。

「駄目だ、どうするのか思い出せない」

(よし、ここは私の出番だね)

「祐巳ちゃん、そこは___」
「過不足分は雑損で処理するのよ」
「あ、そっか。祥子さま、ありがとうございます」

 せっかく力になってあげれるチャンスも祥子に横取りされてしまう。

「ちょっと祥子、貴女の今の担当は由乃じゃなかったの?」
「令がいつまで経っても教えてあげないから私が令に代わって教えてあげただけじゃない」
「そもそも人が教えようとしたタイミングで祥子が割って入っただけじゃない。それをまるで人がキチンと教えてあげない駄目な上級生みたいな言い掛かりは止してくれないかな」

 待ちに待った祐巳の担当になる日、本来なら聖や祥子の邪魔や由乃の目を気にせず祐巳と接する事の出来る貴重な時間だったのだ。それを祥子に横取りされる形になってさすがの令も黙ってはいられなかった。

「そう、私が出しゃばっていると言いたい訳ね」
「実際そうじゃない。今日の祥子の担当は由乃、そして今日の私の担当は祐巳ちゃんなのよ。祐巳ちゃんのことは私に任せて祥子は由乃の指導に専念してくれないかな?」
「令の言いたい事は良く解ったわ。でもそれは出来ないわ」
「何ですって!?」
「確かにそれぞれ受け持つ担当は決まっているわ。でも本来上級生が下級生を指導するは当然の行為、それも姉妹にもなっていない関係である以上そこまで気兼ねする必要は無いんじゃなくて?」

 祥子の言い分に一理あるとは言え、それを認めてしまえばそれぞれ担当を設けた意味が無くなってしまう。だからこそ少なくともこの企画が終わるその日まではそれぞれの担当に専念すべき、そう言いたかったのだが、

「祐〜巳ちゃん、令は祥子の相手で忙しいようだし私の相手をしてよ♪」
「ぎゃっ!?」

 二人が言い争っている隙に聖が祐巳に抱きつく。

「う〜ん、やっぱり祐巳ちゃんの抱き心地は最高だね♪」
「「白薔薇さま!!」」
「別に私が誰と何しようと私の勝手、祥子の理屈で言うなら二人に上級生である私がお伺いを立てる必要なんてないでしょ」
「白薔薇さま、そう言う問題ではないじゃないですか。そもそも白薔薇さまは志摩子の事をほったらかしで、今日だってロクに口を利いていないじゃないですか。祐巳ちゃんに構っている暇があれば志摩子にも構ってあげたらどうなんですか?」
「そうですわ、祐巳ちゃんや由乃ちゃんの時とはあからさまに態度が違うじゃないですか」

 令と祥子の矛先を一身に受ける形になるが聖は動じた様子もなく、

「じゃあ聞くけど志摩子は何か分からない事や聞きたい事とかある?」
「いえ、特にありませんわ」
「だ、そうだけど?」
「け、けど………」
「だからと言って………」

 聖と志摩子の交わした会話は先ほどのやり取りを除けば『この仕事は任せたよ』『はい』の一言ずつのみ、これでは令と祥子も納得できるわけがない。だが当人同士がそれでいいと明言しているも同然なこの状況では令と祥子にこれ以上口出しし辛い。しかも祥子にとって先ほどまでの令とのやり取りの後もあってか、ここで担当云々を理由に持ち出すわけにも行かない。

「私は志摩子と話したいことはないけど祐巳ちゃんとはもっと話がしたい、そしてもっと触れ合いたい。だから祐巳ちゃんに構うだけ、それのどこが悪いのかしら?」
「ロ、白薔薇さま、私なんかに構ってもらえるのは嬉しいですがこれ以上お二人を刺激するような発言は避けて欲しいのですが………」
「祐巳ちゃんは私の相手をするのは嫌?」
「そ、そんな事ないです!!」
「だったら何も問題はないじゃない♪」

 そんな風に言われて祐巳に嫌と断れるわけがない。解りきった答えとは言え、横で口惜しそうな祥子や令の顔を見て調子に乗ってしまう。

「じゃあさ、見たところお互い今日の仕事はたいした量じゃないから早めに上がって私とデー___」
「白薔薇さま、私が目の前でサボろうとしているのを黙って見過ごすと本気で思っているのかしら?」

 そろそろ収拾が付かなくなってきた事もあってか、蓉子が聖に釘を刺す。

「や、やだな〜、紅薔薇さま。冗談に決まっているじゃない。冗談だって」
「冗談をいえるぐらい余裕があるならこの予算案の見積もりもお願いするわ。いいよね?」
「わ、解ったわよ」

 蓉子の気迫に押される形で聖が渋々追加された仕事に取り掛かる。そして祥子と令にも軽く一瞥し、無言のプレッシャーを与える。

「じゃ、じゃあ私たちも仕事をしましょうか」
「そ、そうね」

 そして祥子と令も恐る恐る仕事を再開する。

「とんだ災難だったね、祐巳ちゃん」
「は、はぁ。もう何がなんだか………」
「まぁ白薔薇さまは面白がってやっているだけだからあまり深く気にする必要はないわ」

 幸いにも江利子が資料を取りにこの場にいなかったからいいものの、もしこの状況に江利子がいたら………そしてそれが毎日続いたら、そう考えると不安の色が隠せないのが祐巳の心境である。もっとも祐巳には何故そうなるのかまでは解らなかったが。

「まぁとりあえず白薔薇さまや祥子には程々にするよう私が後でちゃんと釘を刺すから安心していいわよ。それよりもう解らない所はないの?」
「あ、それなら___」

 その瞬間若干数名の顔が引き攣っていたが蓉子は敢えて見なかったことにした。






          ◇   ◇   ◇








「いらっしゃい、蓉子ちゃん」
「お邪魔します、小父さま」

 蓉子にとって久しぶりの鳥居家訪問、別に鳥居家の男衆に用があった訳ではない。なら薔薇さま同士の密談なのかと言われればそうでもない。なぜならこの場に白薔薇さまである聖の姿は無いのだ。だが全く関係が無いわけではない。

「さて、ここなら聖は勿論新聞部の目も無いから気軽に話しができるね」

 聖不在の密談………それは三日前から始めた蓉子たちの計画のことだった。薔薇さまという立場上どうしても注目を浴びてしまう二人にとって、周りに聞かれる心配のない所はどうしても自宅しかないのだ。

「この四日間、蓉子にはどのように感じたかしら?」
「祥子の姉としてはこの四日間が祥子にとってはかなり有意義な日々になっているのはありがたいわ」

 去年まで祥子の姉として色々と指導をしてきたが、最近の祥子は蓉子から指導ではなく、自ら変わろうとしている。姉としてこの妹の成長は喜ばしいことであるのは当然の話しである。

「そして紅薔薇さまとしても聖がちゃんと白薔薇さまをしているのは満足よ。でも」
「聖の友達としては見ていられない、そんな所?」
「そうよ。志摩子に対するあの態度、さすがに見ていられないわ」

 確かに聖は最近ちゃんと山百合会の仕事をしてくれている。だがそれは仕事に対しては、である。祐巳や由乃に対しては良い上級生をしていても志摩子に対してはロクに相手をしてないのだ。志摩子が聖の担当になったこの二日間、聖は志摩子に対して必要最低限の会話しかしていない。それも内容が仕事のことのみだから会話と言っていいのかも窺わしいのだ。

「いくら栞さんの一件があったからってあそこまで距離を置かなくても………」
「まぁ志摩子の方もこの現状に満足してる節があるから当面は愛想を着かされる心配は無いと思うけどね」
「でもその内何らかのてこ入れをしないと二人の関係は良くならないわよ」

 どんなに聖に邪険にされようと嫌な顔一つせず聖に付き合ってくれている。それは蓉子たちにとってありがたいことなのだが、反面お互いがそれ以上に踏み込んでくれないことを危惧しているのも事実である。

「当初は祥子が発破かけてくれるだろうという予定だったんだけどね」

 祥子なら志摩子と言う人間が山百合会に必要な人材であると見抜き、正式に山百合会に迎えようとするだろう。そうなればさすがの聖ものんびりしていられないはず、江利子はそう考えていたのだ。

「ちょっと江利子、あなた私の祥子を噛ませ犬に使おうとしていたの?」
「当たり前じゃない。聖には妹ができ、世間知らずな祥子には世の厳しさを痛感できる。まさに一石二鳥♪」
「貴女って人は………」
「まぁそれは半分冗談として、ちょっと予定外の事態になってきたのよね」
「予定外って祥子のことよね?」

 半分は本気なのかと突っ込みたくなる気持ちを抑え、先を促す。

「そう、祥子なら志摩子を妹にしようとするはず。そのつもりだったのにどうも祥子は志摩子じゃなく祐巳ちゃんに興味を持ってきているのよね」
「それは的が外れて残念だったね。でもね、祥子があの娘に目を付けたと言うならこれはこれで私は大歓迎よ」

 聖と志摩子が姉妹になるチャンスが損なわれた事は蓉子としても好ましくない事、だが蓉子にはこれはこれで良い機会なのだと確信していた。

「ちょっと意外、蓉子なら志摩子が聖の妹にならないなら祥子の妹に、って考えると思ったんだけどね」
「確かに妹に対して次代の薔薇さまとしての能力を求めるなら志摩子は文句なしの人材、祐巳ちゃんはせいぜい補欠止まりになるわ。でも祥子のような癇癪持ちを支えていけそうな人間は祐巳ちゃんしかいないわ」
「随分と大きく出たわね。でも何で志摩子では祥子を支えれないのかしら?」
「相性………と言うよりお互いの接し方の問題ね」

 祥子は御家の事情で社交界によく参加し、大人の付き合いというものを理解している。そして常日頃より小笠原の名に恥じぬよう気高く生きている。

「本当は世間知らずで我侭なヒステリーっ子なのにね」

 そして祐巳たち三人の中で一番人間が出来て大人なのは志摩子だろう。一見すればそんな志摩子こそ祥子の妹に相応しいと思うかもしれない。だが志摩子は大人であるが故に団体の輪からどこか一歩引いた位置にいようとする節がある。そんな志摩子が祥子の妹になった場合、二人は大人の関係を築き上げるだろう。だがそれは外面だけで実際は祥子が自身の妹に本当の自分を出す事は叶わないだろう。祥子の姉としてそれはあまり歓迎の出来ぬ話なのだ。

「今祥子に必要なのは優秀の妹より、祥子がありのままの自分を曝け出すことが出来る妹がいいのよ」
「そう言った意味なら確かに祐巳ちゃんは適任ね。何せ他の人には無い親しみ易さが、人当たりの良い蓉子以上の親しみ易さがあるからね」

 如何に蓉子が人当たりが良いと言っても、容姿端麗・成績優秀である蓉子に初見でお近付きになろうとする人は少ない。無論蓉子なら相手が合わせ易いように接する事が出来る。が、それでも相手が蓉子に慣れてもらうまで時間を要してしまう。だがこれが祐巳となると話は変わってくる。見ていて飽きないぐらいコロコロ表情を変える愛らしき百面相、成績も平均台が故に相手に劣等感を感じさせることもない。何より祐巳がその場にいるだけでどこかホッとする気持ちになれる。人と付き合う際、これほど付き合い易い人物は早々いないだろう。

「それにね、他ならぬ祥子自身が祐巳ちゃんを選んだのよ。姉として妹を応援したいと思うのは当然でしょう?」
「それもそうね」
「それよりそう言う江利子はどうなのよ。令の事、このままにする気?」

 それは令の変化、そしてそれに伴って起きるだろう問題に対してである。

「う〜ん、基本的には今まで通り見守っていくつもり」
「貴女ね〜、仮にも江利子の妹が困った事になっても放ったらかしにするつもり?」
「あら、蓉子は紅薔薇VS黄薔薇戦線をお望みなのかしら?」
「何もそう言っている訳じゃないでしょ」
「私は姉として令に問題提議、及び選択の機会を与えたわ。ここから先は令自身が決断し、自ら行動するべき事よ」

 姉が妹を導く事、それは姉妹の基本的な概念である。だが姉妹だからと言って姉が妹の行く末を決めるのはお門違いではないのか?妹の可能性を信じ時には静観するのも姉の役目である、それが江利子の持論なのだ。もっとも自身の好奇心が沸けば状況も変わってしまうのだがそれはまた別の話しである。

「それに蓉子みたいに過保護すぎたら妹が妹を持つようになった時が辛いわよ」
「そうね、きっと祥子の妹に焼き餅焼いちゃうかも。その時はあぶれた者同士慰めあってもらおうかしら?」
「あら、私は妹と孫共々可愛がるつもりだから蓉子一人あぶれる事になるよ」
「私って、友達甲斐のある友人を持てて本当幸せ者だわ」

 蓉子の皮肉にお互い笑いが漏れる。

「こうやってまたお互い冗談が言い合える結末を迎えれるといいわね」
「今度は聖も交えて、ね」

 そして今日も二人はお互いの妹が幸せな結末を迎えれる事を願うのだった………






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        <第五話>   <第七話>


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