「ごきげんよう、祐巳さん、桂さん。」

(今日も桂さんは祐巳さんと一緒なのね)

 だからどうと言うわけでもないが、二年に進級して以来お姉さまである祥子を除けば祐巳の隣にい続けてきた由乃としては、自分以外が祐巳の隣にいるのはあまり良い気分ではないのだ。

「ごきげんよう、由乃さん」
「ごきげんよう、黄薔薇のつぼみ」

 そして下級生からならいざ知らず、全く知らない間柄でもないのにわざわざ薔薇のつぼみと呼ぶのも同様である。ましてや、

「そう言えば由乃さん、剣道部は慣れてきた?」
「まぁね、最近はトレーニングメニューも余裕で消化できるようになったからね」
「でも竹刀を持たせてもらえてないんでしょう?それって元々普通の人のメニューより控えめの内容だったんじゃないの?」

 口を開けばやたら毒舌ときたものだから由乃の不快指数は上がりっ放しである。

「ま、まぁこれでも一応元病人だからその辺は仕方ないわね。でも今に令ちゃんと肩を並べるぐらいの実力になって見せるわ」
「頑張ってね、由乃さん」
「期待せず待ってるわ」

(む〜〜〜〜、言わせておけば好き勝手言うわね)

「そう言えば桂さんは大会に出たという話は聞きませんけど、大会には出ないのかしら?」
「テニス部は大会で優勝を狙うクラブというより、みんなで楽しく部活をするというコンセプトだから問題ないわ」

 『だから祐巳さんも今からでもテニス部に入りましょう』そう言って祐巳に戯れる姿を見ている姿を見るとなおさらである。

(祐巳さんが記憶をなくしてなければこんな茶番をしなくて済んだのに………)








 降り止まぬ雨







 祐巳が復学して数日、祐巳は表面上では今まで通りの生活を過ごしている。だが復学する前に新聞部の協力の下全校生徒に祐巳が記憶を失った事を報じ、いくつかの禁止事項を設けているし、祐巳が薔薇の館を訪れる事はない。

(だからこそ祥子さまの妹になる前からの付き合いである桂さんが祐巳さんの傍にいるわけだけど………)

 祐巳の記憶が直るまで様子見、それがみんなで決めた妥協案である。だからこそ今のこの状況は頭では理解できているが納得は出来ない。令と田沼ちさとのバレンタインデートの一件と同様で、内心穏やかではないのだ。

「祐巳さん、今日___」

 キーン、コーン、カーン、コーン………

「あ、チャイム鳴ったね。私は教室戻るね」
「じゃあ桂さん、また後でね。由乃さん、何?」
「う、ううん。何でもない」

 以前のように戻るためには祐巳の記憶が戻ることが必須、だがその為の方法は未だに思いつかないままである。

(いっそ、記憶が無くした時を再現すれば………って、さすがにそれは無理ね。と言うか冗談でもそんな事させれないわ)

 いくら記憶が戻って欲しいとは言え、一歩間違えれば帰らぬ人となりかねない手段など取れるはずも無い。ましてや記憶を失った事が事故によるものだという確かな証拠は無いのだ。

(はぁ、欲を言えば仕事が溜まっているから祐巳さんには早く復帰して欲しいところなんだけどな)

 何せ祐巳との一件でショックを受けた祥子も薔薇の館に来ていない今、仕事の大半は白薔薇姉妹任せなのだ。当然二人だけでは仕事は消化どころか溜まる一方である。由乃と令も暇を見ては薔薇の館に足を運んでいるが、部活との二束の草鞋ではあまり役に立てていないのが現状である。

(改めて考えると帰宅部の祐巳さんは貴重な戦力だったのよね)

 今でこそ積極的に薔薇さまとしての仕事をしている志摩子だが彼女も委員会の仕事がある。いつまでもこのままと言うわけには行かないのだ。

(ここはやっぱり無理矢理でも薔薇の館に引っ張っていくしかないかな)

 記憶の戻る戻らないは別にしろ、現実は猫の手も借りたいほどの人手不足なのだ。だが

「それは止めた方がいいと思うな」
「そうね、今は荒療治をする時期じゃないと思う」
「………顔に出ていた?」
「祐巳さん程じゃないけどね」

 気の短い由乃が荒療治をしようと思ったことは今回が初めてではない。今までだって何度もあった。だがその度に令や志摩子、そして蔦子と真美によって阻まれてきたのだ。

「話を戻すけど考えなしの荒療治は最悪の事態を招くだけよ」
「別に荒療治をするつもりは無いわ、ただ人手不足だから手伝ってもらうだけよ」
「紅薔薇のつぼみだった頃の記憶が強く残る場所に連れて行く時点で十分荒療治よ」

 もし記憶を失った事が祥子との一件で心を閉ざした事が要因なら、無理に記憶を呼び起こそうとする行動は返って祐巳の心を閉ざす恐れがある。そして事故で脳にダメージを受けた事が要因であるなら下手な刺激が脳へ多大な負荷を与え、最悪自我を崩壊する恐れがある。つまり何が要因であるにしろ、下手な行動は首を絞めるだけなのだ。

「口惜しいのは解るけど時が全てを解決するのを待つしかないのよ」
「それに事情はどうであれ祐巳さんは事件前に祥子さまにロザリオを返したのよ。由乃さんのように再び姉妹になる事を前提としたものではなく、決別と言う意味でロザリオを返したのよ」
「そ、それは………」
「ひょっとしたら祐巳さんにとって今のままの方が幸せなのかもしれないのよ」

 それが由乃にとって最大の悩みだった。祐巳の記憶が戻って欲しい、祐巳に薔薇の館に帰ってきて欲しい、由乃がそう思っても祐巳自身がそれを拒んでいるなら………

「私は、どうすればいいのよ………」

 これで何度目になるかも忘れた絶望の言葉が虚しく響くのだった………





          ◇ ◇ ◇





「祥子………」
「お姉さま方、どうしてここへ?」
「貴女の事が心配だからよ」

 ここ数日学校にも来ていない祥子の様子を心配した蓉子は江利子と聖を連れて祥子見舞いに来ていた。

「やっぱり随分とやつれているわね。そんなにお祖母さまの具合は宜しくないの?」

 事情を知らないわけでもないのに白々しい事をしていると思っている。だが祥子のお姉さまとして今の祥子を一人には出来ないのだ。

「私は大丈夫です、だから私より祐巳を支えてあげてください」
「それが大丈夫って顔かしら?それにいつまでもそんな有様だといつか取り返しの付かない事態になるわよ」
「それに祐巳ちゃんが祥子との事を忘れた今、私たちも祐巳ちゃんに会える状況じゃないのよ」

 以前志摩子がそれとなく蓉子たち先代の薔薇さまたちについて祐巳に聞いてみると、

『私にとって雲の上のような存在だったからね、どんなイメージか聞かれてもなるべくしてなった薔薇さまたちというイメージしか浮かばないよ』

 かろうじて現在クラスメイトの由乃の姉だからこそ令との記憶はそれなりにあるのだが、祥子を含めた他の薔薇さまたちとはあった記憶すらないのだ。その為聖は本当は祐巳の傍に行きたい、祐巳を支えたいと思っているがその願いは叶えられないのだ。

「お姉さま方には本当に申し訳ないと思っています。私の所為で祐巳と___」
「いい加減にしなさい!!」

 パンッ!

 蓉子の右手が祥子の頬を叩く音が響く。

「確かに祥子は過ちを犯したかもしれない、でも祐巳ちゃんはまだ生きているのよ。貴女がしっかりしないでどうするのよ!!」
「私はもう祐巳の___」
「貴女以外に誰が祐巳ちゃんのお姉さまになれると思っているのよ!」
「蓉子、もうよしなよ」

 蓉子がどれだけ言葉を重ねようと今の祥子には自分に向けられる優しさを受け止める事が出来ない、自分を傷付ける術しか出来ないのだ。

「ごめんなさい、祐巳。ごめんなさい、祐巳。ごめんなさい、祐巳。ごめんなさい、祐巳。ごめんなさい、祐巳。ごめんなさい、祐巳。ごめんなさい、祐巳。ごめんなさい、祐巳。ごめんなさい、祐巳………」
「祥子………」
「蓉子、今日はもう帰ろう。祐巳ちゃんもそうだけど祥子にももう少し時間を与えないと………」
「解ったわよ。でも祥子、これだけは覚えていて。私は何があっても祥子の姉だから、例え世界中が祥子の敵に回ろうと私は決して祥子を見捨てたりなんてしないから。本当に辛い時ぐらい私に甘えてもいいのよ」
「は………い………」

 蓉子にも解っていた。今の祥子にどんな優しさも叱咤も効果がないことを。祥子を本当に救えるのは祐巳だけだと言う事を。

「じゃあまた来るね」
「ごきげんよう、お姉さま方」
「ごきげんよう、祥子」





          ◇   ◇   ◇






 ――――彼女が幸せなら、そう思って背中を押した



 ――――そして彼女は幸せな日々を過ごした。私はそれを遠くから見守っているだけで良かった



 ――――好きな人が毎日心からの笑顔でいられる、それが私のささやかな幸せだった



 ――――あの子が来るまでは………



 ――――あの子が来るようになってから彼女が心からの笑顔でいられたのはマリア祭の一件だけ



 ――――彼女が大好きな人との事で笑顔でいられたのはただ一度も無いのだ



 ――――そしてあの事件………



 ――――私は憎んだ



 ――――あんな人たちに彼女を任せた私自身を



 ――――だから同じ過ちは繰り返さない



 ――――そして彼女に同じ苦しみを味あわせない



 ――――だから



 ――――私は二度と彼女を手放さない



 ――――何人たりとも邪魔はさせない



 ――――それが私の誓い………





          ◇ ◇ ◇





「桂さん、ちょっと変な質問していいかな?」
「どうしたの?」
「私、あの事故以来何か大切なことを忘れているような気がするの。だって由乃さんたちと話しをしていてもどこかぎこちなくて………」

 祐巳が自分で違和感に気付いてくれた、それは記憶が戻る兆候であり、多くの人間が待ちわびた事。だが、

「確かに祐巳さんは大事な事を忘れているよ」
「や、やっぱりそうなんだ。桂さん、私が忘れいる事って何なの!?」
「祐巳さん落ち着いて、忘れたままなのが辛いのは解るけど、ね」
「う、うん」

 何となく感じていた違和感が気のせいでないことを知り、興奮する祐巳を諭し一息つく。

「祐巳さんが感じている違和感の正体はね、前から言おうと思っていたよ、でも言う必要がなくなったの」
「それってどういう事?」
「だって祐巳さんは今私の傍にいるでしょう?」
「?」
「解らない?」

 そう言って祐巳を抱きしめる。

「ちょ、ちょっと桂さん!?」
「私たちこういう関係だったのよ」
「た、確かに桂さんとは長い付き合いだったけど………」

 突然の告白に困惑を隠せない祐巳に追い討ちをかけるように続けていく。

「それにね、祐巳が私と付き合っていたことを忘れてもまたもう一度一から付き合い始めればいい。だから祐巳が他の子のモノにならない限り私にはたいした問題ではないし、誰にも祐巳を渡すつもりは無い」

(みんなもしもの事を恐れて何も出来ないでいるけど私は違うわ。祐巳の為なら例えどんなに卑怯と罵られようとも構わない。祐巳には私の傍にいる事が一番の幸せなのだから!)

「だからお願い、もうどこにも行かないで。祐巳が事故にあったと聞いて私、本当に辛かったわ。もしこのまま祐巳と会えなくなると考えたら目の前が真っ暗になったもの」
「桂さん………」

 ここだけは嘘偽りでもなければ誇張でもない。桂にとってこれこそが最大の恐怖だった。例え添い遂げる事ができなくとも、そう考えていた矢先に起きたあの事件は今でも桂にとってトラウマとなっているのだ。いつしか演技ではなく本当に恐怖で震えてしまう。

「祐巳がいない世界なんて私は生きれない、祐巳だけが私の生きる糧なの」
「………私はどこにも行かないよ」
「祐巳?」
「こんな辛そうな桂さんを見捨ててどこかへなんて行けれないよ」

 祐巳の方からそっと抱きしめられ、いつしか震えも収まり落ち着きを取り戻す。

「正直桂さんとそんな関係だと言われてもピンと来ないけど、桂さんに想って貰っているのは素直に嬉しいと思う」
「ありがとう、祐巳」
「だから答えは待ってくれないかな?記憶が戻っていないし、半端な気持ちで桂さんと付き合うなんて失礼な事はしたくないから」
「その気持ちだけでも嬉しいわ。でも、必ず私の事を好きにしてみせるわ」
「ははは、お手柔らかに頼むね」

(今はこの位でいい。だけどそう遠くない内に………あれ?)

 視界の果てにどこで見た事のある後姿が逃げるようにその場を後にする。

(あの子か、まぁいいわ。もはや賽は投げた、後は誰が何をしようとこの一世一代の大嘘を真実にするまでよ)

「祐巳、愛しているわ」

 一人の女の狂気を覆い隠し、そして他の者を寄せ付けないかのように雨はまだ降り続けていた………





 第一話 第三話

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