「瞳子ちゃん、祥子の様子は?」
「まだお祖母さまがご存命の間は看病と言う名目が支えになっていましたが、お亡くなりになられた事で………」

 蓉子はあれから何度も祥子の様子を見に行っていたが回復の兆しは見せず、そしてお祖母さまが亡くなった事で祥子は更に塞ぎこんでいた。

「そう………」
「こんな事言いたくないですけど、正直いつ早まった行動をとるのか気が気じゃありません」
「あまり考えたくないけど話を聞く限りありえない話ではないわね」

 祐巳との仲違い、そしてお祖母さまの事でボロボロになってしまった祥子を救えるとしたら祐巳だけだろう。そしてもし祐巳との一件がただの仲違いだけなら例え嫌がってでも祐巳と祥子を引き合わせようとするだろう。だが、

「祐巳ちゃんに記憶が戻った様子は………ないわよね」
「残念ながら………」

 ここへ来て姉でありながら妹の危機に何もしてやれない自身が歯痒く思える。

「ねぇ瞳子ちゃん、一つ聞かせてもらえないかしら?今の貴女にとって祐巳ちゃんはどういう存在なの?」
「そ、それは………」
「それに祥子を祐巳ちゃんに盗られた貴女が祐巳ちゃんにあまり良い感情を持っていないことも解るわ。でもそれでも教えてくれないかな?勿論今更貴女を咎めるつもりはないし、返事次第でどうこうするつもりもない。だって私も貴女同様に祥子が元気になってくれる事が最優先事項だからね」

 瞳子には返答に困る内容だった。いくら咎めるつもりはないと言っても蓉子が祐巳を可愛がっていたのは明白であり、頭で理解できても気持ちが納得できないと言う事は瞳子自身が良く知っていることなのだから。

「わ、私にとって祐巳さまは………」
「正直言って私は祐巳ちゃんに嫉妬している」
「え?」
「だってそうでしょう、私がどれだけ祥子を心配しようと何もしてあげれない、姉として祥子を救ってやれない。祥子を救えるのが祥子を追い込んだ祐巳ちゃんだけだなんて………」
「蓉子さま………」

 祐巳のことを孫と称し可愛がってきた、それは今でも変わらない想いである。だがそれに比例し、祥子を追い詰めた祐巳に良くない想いを抱いているのも紛れもない事実なのだ。

「ごめんなさいね、こんな事聖たちの前ではよう言えないからね」
「申し訳ありません。私も祐巳さまには良くない想いを抱いています」

 蓉子の方が先に人には言えない告白をしてくれたお陰で瞳子も本音を洩らすことが出来た。

「私は、私こそが祥子お姉さまの妹だとずっと信じてきたのに、祐巳さまの所為で瞳子の夢は………」
「いいのよ、今までずっと溜め込んでいた想いを、誰にもぶつける事の出来なかった瞳子ちゃんの本当の想いをぶつけてもいいのよ」
「私は祐巳さまが憎い!私から祥子お姉さまを奪った祐巳さまが憎い!そして祥子お姉さまを追い込んだ祐巳さまが憎くて仕方ないんです!!」

 小笠原に連なる松平の人間として自身の醜い部分など人前に晒すつもりなんてなかった。どんな辛い事だって耐えてみせる、決して素の自分など表に出すつもりなんてなかった。そんな瞳子にとって生まれて初めての叫びにも似た告白だった。

「瞳子は、瞳子は祥子お姉さまと一緒にいたかっただけなのに………」
「瞳子ちゃんも辛かったのね………」

 蓉子に優しく抱きしめられ、その温もりで次第に落ち着きを取り戻す。

「み、見苦しいところをお見せして申し訳ありません」
「いいのよ、それに人間どこかで溜め込んだ気持ちをこうやって吐き出さないとロクなことにならないからね」
「ありがとうございます。お陰でもう少し頑張れそうです」
「無理、しなくてもいいのよ」

 学校では祐巳に回復の兆しがないか常にチェックし、放課後は祥子の看病。瞳子が心身共に疲れ果てているのは明白である。だがそれでも今のリリアンに祥子を最優先に考えてくれる人間は瞳子しかいない以上、蓉子は瞳子にを頼るしかないのだ。

「今の私には祥子お姉さまが元気になってもらう事が第一ですから。その為ならどんな事だって乗り切って見せますわ」

 だからこそ瞳子は己の感情を押し殺そうと考えた。祥子への想いが強過ぎたが故に起きてしまった悲劇を償うため、そして周りからどんなに蔑まされようとも祥子のために尽力を尽くさんが為に………







 降り止まぬ雨







「ごきげんよう、祐巳さま」
「ごきげんよう」

 祐巳が事故に遭って以来クラスメイトを始めとする顔見知りの面々はどう接していいのか未だに解らないままである。だが元々顔見知りではない人達には今まで培ってきた記憶がない分、記憶の矛盾を意識することなく普通に接することが出来る。その為以前から祐巳を慕っていた下級生にとって今の状況はお近づきになるチャンスでもあったのだ。

「えっと、私一年桃組の大宮沙恵って言います!」
「沙恵ちゃんね、初めまして」
「は、初めまして!あの、その………し、失礼します!」
「う、うん。じゃあね」

 もっとも元々声をかけたくてもかけれなかった面々にはそれ以上先に進む事ができないのが現実である。

「ごきげんよう、祐巳さん。今日も人気者ね」
「え〜と………」
「そう言えば同じクラスになった事は一度もなかったわね。私は藤組みの望、樋口望よ」
「望さんね、ごきげんよう」
「改めてごきげんよう」
「一つ聞くけどこれってドッキリか何か?どうも退院以来今まで話したことのない人たちから声をかけられるんだけど」

 当然祐巳も不審に思うことはあるのだが

「その人を前にしたら照れたり上がったりして声をかけたくてもかけれない事ってあるでしょう?でも祐巳さんの場合例の事故でみんな心配していたのよ、だから退院したら思い切って声をかけてみようと思った子が出てきたのよ。私も含めてね」
「そ、そうなのかな?」
「祐巳さんって本当に鈍感なのね。クラスに着いたら由乃さんや蔦子さんに聞いてみるといいわ。きっと同感してくれるから」

 このようにうまい具合にあしらわれて有耶無耶になっているのだ。だから今更知らない人に声をかけられても気にしないよう何度も言い聞かせているのだ。なのでこの出会いもある意味ではいつも通りの事である。

「ごきげんよう、祐巳さま」
「ごきげんよう」
「っ!?瞳子さん、どうして貴女が!?」

 少なくとも祐巳にとっては、である。祐巳と違い望を始めとする多くの学生にとって、松平瞳子という存在はあまりも知名度が高過ぎた。

「えと、望さんのお知り合い?」
「え、ええ。でも名前を知っているというだけで彼女は私のことは知らないでしょうね」

 望にとって先の下級生の沙恵を始めとする祐巳の追っかけの面々は少々煩わしいライバルという認識だが、瞳子は違う。望にとって、そして祐巳を慕う多くの追っかけにとって瞳子という存在は敵なのだ。例えどんな手段をとってでも祐巳の前に近付けてはいけない存在、だからこそ射抜くような眼差しで睨みつけるが、

「祐巳さま、私祐巳さまに相談があるんです。ちょっとお付き合い願えませんか?」
「わ、私に相談?」

 だが瞳子にはそんな望の睨みを気にした様子も無く祐巳だけを見ている。否、祐巳しか見えていないのだ。瞳子にとって祐巳以外の存在に何の価値も無く、直接邪魔をする事も出来ないような人間は眼中に無いのだ。

「私に役に立てるかは解らないけど、頼られたからには出来るだけ期待には応えたいな」
「でしたら是非こちらへ、ここでは落ち着いて相談できませんわ」
「望さん、私はこれで失礼するね」
「あ………」
「祐巳さま、早く早く」

 ここで止めなければ、そうは思っても体が動かない。口惜しさで下唇を噛むが、祐巳がそんな望の様子に気付くより先に瞳子に連れて行かれてしまう。

「ま、待ってよ〜」

 例えロザリオが無くとも彼女は紅薔薇のつぼみで望はただの一生徒、そう思い知らされた気がした







          ◇   ◇   ◇







 あれから数日、瞳子はうまい具合に祐巳と親しくなる事が出来た。と言っても祐巳には瞳子と出会ってまだ数日、その絆はまだ砂上の楼閣といっても差し支えないだろう。その為瞳子が祐巳と会うのは人気の無い場所を選んだ所だけである。

「ごきげんよう、瞳子ちゃん。あれから家の人とはうまくいっている?」
「ごきげんよう、祐巳さま。さすがに一朝一夕では………ですが以前と違い一緒に食事を取るようになりました」

 何故なら瞳子は由乃たちのとって疎ましい存在であり、その瞳子が祐巳の傍にいようものなら間違いなく瞳子を排除しようとするだろう。その事を理解しているからこそ瞳子は祐巳に瞳子と会うことは勿論、その交友関係そのものを秘密にするようお願いをしているのだ。

「そっか、やっぱり家族が仲良くなるには一緒の行動をとるのが一番だからね」
「祐巳さま、私は別にお父様と仲良くなりたいのではなく___」
「演劇をこれから先も続けていきたいということを認めてもらいたい、でしょう。でも相手に自分のことを理解してもらいたいなら瞳子ちゃんも相手のことを理解しないと駄目だよ」

 そして祐巳は瞳子から身内の問題の相談を受けているので、例え由乃たち相手であっても瞳子のことを誰にも話していない。そうして二人だけの秘密の関係が築かれつつあるのだ。

「これだとぶりっ子しているのと大差ない気がします」
「ぶりっ子とは違うよ。極論だけどぶりっ子は自分の本性を誤魔化して相手を騙すようなものでしょう?でもこれは瞳子ちゃんがお父さんの気持ちを理解し、お父さんも瞳子ちゃんを理解した上で、ちゃんとした話し合いが出来る。そうなればきっとお互いが納得のいく答えが出るはずよ」
「祐巳さまって本当におめでたい方ですね」
「ははは、よく言われるよ」

 そして最近では瞳子も祐巳の前で素の瞳子を出せるようになってきた。何も知らない人が見れば姉妹と勘違いしてもおかしくないほどである。

「ひとまずは祐巳さまの言う通りにしますが、もし私が折れる羽目になったら恨みますよ」
「それは大丈夫だと思うよ。瞳子ちゃんは簡単に自分の意志を曲げないタイプだし、もし瞳子ちゃんが諦めるとしたら、きっと瞳子ちゃんにも何らかの納得する理由があるはずだよ」
「な、何言っているんですか。そうやって人をからかわないで下さい」
「別にからかってはいないんだけどな」

 それに時折妙に鋭いところを見せる祐巳にドキッとしながらも目が離せないでいる自分がいる。そんな時間を過ごす日々にいつしか馴染んでいるのだ。

 キーンコーン、カーンコーン

「あ、もうこんな時間だ」
「じゃあ教室に戻りましょう。まだ話したい事もありますし、放課後も付き合ってもらえますか?」
「うん、いいよ」

 だからこそ気が緩んでいたのだろう。祐巳との関係を邪魔されないよう由乃たち薔薇ファミリーは警戒しても他に気が回っていなかったのだから







          ◇   ◇   ◇







(あれは祐巳さまと………)

 放課後、祐巳との待ち合わせの場所へ向かう途中、廊下の先に祐巳と桂が一緒にいる姿を目にする。

「桂さん、ちょっと変な質問していいかな?」
「どうしたの?」
「私、あの事故以来何か大切なことを忘れているような気がするの。だって由乃さんたちと話しをしていてもどこかぎこちなくて………」

 祐巳の記憶は直ぐには戻らない、瞳子はそう諦めていた。そしてそれを前提に行動をしていた瞳子にとって祐巳の変化は決して見逃せないものだった。息を潜め物陰からじっと様子を伺う。

(も、もしかして………)

 それは期待、いつまでもこんな茶番をせずとも祐巳が祥子のことを思い出してくれれば大きな可能性が開けるから。

(で、でももしかしたら………)

 それは不安、何も知らないなら知らないなりに手の内ようがある。例えば今までのようにまずは瞳子が祐巳にお近づきになり、後々祥子との関係を新たに作る事が可能になる。だが記憶が蘇り、祥子に対する不信感まで蘇る事になれば元も子もない。そしてそうなれば祥子のみならず瞳子にとっても………

「私たちこういう関係だったのよ」

 そんな瞳子の葛藤を他所に桂は大胆にも祐巳を抱きしめ、ありもしない話を捏造し始めたのだ。

(なっ!?何勝手な事を仰っているんですの!?)

 こんな馬鹿げた話を真に受けないで欲しい、そんな願いも虚しく祐巳は半信半疑ながらも真摯に受け止めていた。このままでは桂のいいように祐巳を盗られてしまう、祐巳と祥子を引き合わせる事が困難になってしまう。だからこそこのような茶番は終らせようと二人の前に出掛けた時だった。

「それにね、祐巳が私と付き合っていたことを忘れてもまたもう一度一から付き合い始めればいい。だから祐巳が他の子のモノにならない限り私にはたいした問題ではないし、誰にも祐巳を渡すつもりは無い」

(っ!?)

 それは瞳子にとって鏡に映った自分を見ているようだった。記憶を失った祐巳にありのままの事実を話さず、自分に都合の良い話しだけをする。今までの関係を無視し新たな関係を作ろうとするその姿に、不快感を抱くと同時に瞳子自身何をしようとしていたのか思い知らされてしまう。

(私も決してあの人のことを非難する資格なんてない。例え祥子お姉さまのためと言っても祐巳さまを謀っている事に変わりはないのだから)

 そう考えたらこれ以上この場にはいられなかった、これ以上自分自身を見たくはなかった。駆け出すようにその場を後にする。

(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい………)

 祐巳が事故に遭って以来、多くの人たちから白い目で見られても罪悪感など感じなかった。瞳子にとって大事な事は祥子のみ、その祥子が傷いている今祥子の為に尽くすことが瞳子の全てだったのだ。故に瞳子は良くも悪くも罪悪感を感じる暇などなかったのだ。今日までは、

(わ、私は何てことしてしまったの!?どれだけ罪を重ねるというの!?)

 今まで必死に目を背けていた咎、それが桂の姿に自身の姿を見た時全てが重く圧し掛かる。

「瞳子?」

 今まで目を背けてきたツケが回ってきたと言えばそこまでだろう。

「の、乃梨子さん………」

 だが瞳子もまだ高等部に上がって間もない子供、いかに祥子の為に耐え忍ぼうとしても限界がある。

「ど、どうしたの?」
「わ、私………うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁ」

 今まで知らなかった、誰かを傷付ける事がこれほど苦しいということを

 今まで知らなかった、どれだけ自身が愚かな事をしようとしていたのかを

 乃梨子は追い詰められた瞳子を抱きしめるものの、先の見えぬ未来に途方にくれてしまう。

「瞳子………」

 乃梨子の胸で瞳子は一向に泣き止む兆しはなかった。まるで窓に移る外の降り止まぬ雨の如く………










 第二話 第四話

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